結成のインスピレーション 3
最終章です。
はじめて2人で演奏した後、
長年探し 求めていた人はこの人だ!と確信を持ちました。
なおこはいままで多くの音楽家を見てきました。
「音楽は専門でやってきていない、音楽は趣味なんだ」と、
もとこはいつも謙虚に引き下がるけど、
決していままで接してきた音楽家たちに劣る存在ではない。
現に初めて彼女の歌を聴いた人には必ず「え。ひょっとしてプロ・・・?」と、
言われているではないか。
聴く人の心をつかんで離さないモノをもっているのに…
天才とは、99%の努力と1%の才能と言われますが
それだけではなく、それを超える何かがある人、
もとこはそれを持っているのに…
その価値をまったくわかっていない。
最後のチャンスを最大限に生かさなくては。
もとこにも もとこを取り巻く人たちにも
これは手放してはいけない関係なのだと伝えなければ。
なおこは引っ越し準備の合間合間に時間が空けば
もとこと音合わせをするようになりました。
「なんかここのところベッタリだよね?」と、周りの人に冷やかされるほどに。
アンコール公演は、なおこのバンコク出発前日に行われました。
この時はじめて「モナ」という名前が使われました。
その日、アンコール公演終演後の深夜、
もうあと数時間でバンコクへ出発するというギリギリのタイミングで
なおこはもとこを呼び出しました。
冷んやりとした夜風に吹かれながらベンチに座り
自分が気づいたこと、思っていることをすべてもとこに話しました。
もとこも とっくに気づいていました。
なおことやるのと、他の人とやるのでは出来上がる音楽がまったく違うということを。
練習回数でもなく、テクニックの上手い下手でもなく、この自由度、一体感は
感性の一致であり、そんな相手と巡り合うのは奇跡だということを。
その後間もなく、
今度はもとこがハノイを去り、日本へ帰国することになりました。
コーラスの夏のコンサートはギリギリ開催できる日程でした。
「もういちどなおこと歌えないだろうか?前回の演奏時、
あんなに感動してもらえたのだから、みんなへお礼がわりにあの演奏を
プレゼントできないだろうか?」と、
もとこは考えてすぐになおこへメールを打ちました。
2ヶ月後、バンコクから飛行機で2時間、なおこはすっ飛んできました。
耳の肥えたなおこの家族に「もとこと演奏するためにハノイ行っていい?」と聞いたら
2つ返事でOK♫をくれたそうです。
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